細胞の時間 「疲れた人・元気な人」

外の世界ではなりふりかまわず生きていますが、いつも疲れている人。そしてまわりを振り回し、周りも疲れさす人がいます。好きたことをやっているのに、いつも不満気味で、ちょっとしたことですぐに泣き出したり、怒り出したりします。

自分の好きなこと、大好きなことを趣味としてではなく、自分の人生の根幹で生きている人は、相当の仕事量や現場をこなしながら、あまり疲れていない。人を元気にすることこそあれ、人を疲れさせない。

どこがちがうのでしょうか。

それは内面の「なりふりかまう」戦術がうまく作動しているかどうかにかかっています。

疲れる人は、内面「なりふりかまう」戦術の欠如を、外面「なりふりかまわず」戦術で補おうとするからです。これは疲れます。だって、これは無理だからです。内面のむなしさを、外面の活動で埋めようとするからです。そして困ったことに、それがある状況のもとでは効を奏する場合があります。と、その方は、自分のやり方が正当だと思い込み、ますます外のブラボー、もしくは「いいね」を求め、肝心の内面戦術からますます目を背けます。これがあるルーチンとなって、人は外と内の齟齬の罠におちこみ、疲れ、弱り、崩壊していきます。

元気な人、人を元気にする人は、外世界の企画や活動の内容、カリキュラム、シラバス、など、自分がやりたいこと、本当にやりたいことを、内面の戦術から汲み上げます。外世界の活動は空しさの穴埋めではありませんから、ブラボーや「いいね」の中毒にかかりません。虚構の世界を忙しさや、「舞台上の見栄」を必要としない。調子に乗ったり、落ち込んだりしないだけ、自分の生命エネルギーをスマートに賢く使います。

私に関して言えば、よほどEベクトル意識を上げていきていないと、すぐにブラボー病にかかり、いいね中毒の罠にかかります。でも、そこに意識を向け、自分の課題を内面のテロス(目的とか意味)から立ち上げ直す時、常に新しい始まりは可能です。新しい仕切り直しは可能であることを、私は知っています。でも、危険はいつもあり、油断は常に禁物です。