細胞の時間 「なりふりかまわず シリーズ 3  ”ハイブリッドの戦略士”」

私の中でイキイキと、なりふりかまわず生身を生きている二人の女性。一人はエディット・ピアフさん。もう一人は大竹しのぶさん。二人は自らの生命力が欲するところを、所知らず、誰かれ知らず、なりふりかまわず、行動に移す意欲、好奇心、並外れた情熱、世間体や他人の視線、人の噂などに振り回されない確固たる動き。たばこ、お酒、セックス、危険をはらむ関係。何でもござれ。何でもやるぞ。やりまくるぞ。etc. etc.
しかしこの「なりふりかまわず」戦術は、外の世界、つまり世間体と他人の目や他人の思いで構成された第1フェーズに向けられたものなのです。いわば「なりふりかまわず」の外戦術なのです。これは若いとか、状況が許すとか、など、その時の特殊な条件、その場での偶然的な運命的な環境条件などが一時的であれ整ってれば、短期的には人を驚嘆させるほどの有効性を発揮するものです。

ところがこの「なりふりかまわず」外戦術は期限切れします。それは、もう一つのエネルギー戦術、内戦術のサポートとつながりがないからです。

もう一つのエネルギー戦術、内戦術とは自分の内面とどう関わるか、どう対応するのか、どう対処するか、自分の過去とどう向き合うか、などに関連する戦術です。自分の内面には二つの「なりふりかまわず」戦術では手も足も出ない無意識層があります。一つは自分自身の闇と影です。もう一つは体の健康に関する法律、ルールです。これを「なりふりかまわず」外戦術で外の世界を仕切るように内面もコントロールしようとすると、内面界からの第1フィードバックが声を荒げて出てきます。

「お前は何を勘違いしている。ここでは、お前の仕事はこの世界、内面の世界のルールに従うことだ。この世界の規範や規律に敬意を払い、ここで受けるメッセージを遵守して、それを外世界で実行にかけるのだ。ここでは全ての物事はさかさまに見える。外では大きいと見えるものはここでは取るに足らない。ここで小さいと見えるものは、外ではでかいのだ。闇や影に見えるものは、全て光を孕(はら)んだエネルギーなのだ。ここで自分を律することは、外では自立の道につながる。ここで許しの術を覚えれば、外では解放につながる。ここで冒険の喜びを知り、その実行に踏み切れば、外では世間や他人とのつながりに生成する。この世界で生物的、生理的ルールに従い、そこからの声に傾聴し、好き放題のたばこ嗜好物などへの依存、過度の暴飲暴食、やり過ぎの、やりなさ過ぎのセックス、睡眠不足などを制御していけば、私達はお前の外なる活動を支援できるあらゆる方途を使う用意がある。内戦術は外なる世界で役に立つことはあれ、外戦術はこの内なる世界では何の意味もありはしない。有害無益の一語に尽きる。お前が内面の私達に敬意を払い、恭しく「なりふりかまう」態度を取り始める時、お前の「なりふりかまわず」の外世界は一変するであろう。etc. etc. etc]

エディット・ピアフさんは「なりふりかまう」内戦術を自分の内面から汲み上げ、自分の大好きな外戦術「なりふりかまわず」の世界と掛け合わせていたならば、彼女の人生は全く違ったかもしれません。

大竹しのぶさんは、インタビューしたわけではありませんので、あくまで憶測ですが、私のエネルギー視座から見える風景は、「なりふりかまわず」の外戦術と「なりふりかまう」内戦術の見事なまでの融合であり、その結果、先日神戸の舞台で見た、しのぶさんのエネルギーの炎上、闇と光の深さと美しさ、など、あのド迫力が舞台いっぱい紡ぎ出されていたのでしょう。闇に降りて光を生きる。人の弱さを知っているからこそ、強さが生きれる。人が生れ落ちる不平等性を知り尽くしているからこそ、ちょっとした人の優しさに深~く共感し、そこに奇跡すら見る視座が産まれるのではないでしょうか。

人は「なりふりかまわず」の外戦術と、「なりふりかまう」内戦術のハイブリッド戦略士(Strategist)なのではないでしょうか。