細胞の時間 「弱さと過ちと愚行」

私達はどの成長フェーズにあっても、「弱さと過ちと愚行」からの免罪符はありません。これを闇と命名するならば、私達はこの闇に降りて、そこに問われている意味や課題にアクセスするのでしょう。

「弱さと過ちと愚行」の闇を繰り返す私達は、これに不寛容な空気や文化のもとで生存し、存続し続けるのは難しいでしょう。寛容な心とは、見て見ぬ振りをしたり、相手に同情したりしてそれを甘やかに対処するのではなく、自分にも相手にも強い関心力と関係力を培いたいと本気での望むならば、人間の闇に「寛容」になること以外に有効な手だてはないかもしれません。

特定の宗教や特定のイデオロギーや特定の信条では、異質なものへの寛容の発動は難しいでしょう。

闇に寛容になることで、人は自らの未知なる可能性と未開発のパワーを発動できるのはないか、と私は思っています。そんな寛容のエネルギーをエンジンにして、ものやことを動かしたいと願っています。

今日の折々のことばは、久しぶりのヴォルテールであり、第3フェーズへの軌道修正をしてくれる、なかなかのことばです。
        岩田静治

われわれはすべて弱さと過ちからつくりあげられている。われわれの愚行をたがいに宥(ゆる)しあおう。これが自然の第一の掟(おきて)である。
ヴォルテール


 人はみな「脆弱(ぜいじゃく)で無定見であり、不安と誤謬(ごびゅう)に陥りやすい」と、18世紀フランスの思想家は言う。そして何ごともおのれを基準に評価する人間の傲慢(ごうまん)を諫(いさ)めた。その反省はまずは自らの文化に向かった。キリスト教という、もっとも強く寛容を説くべき宗教がなぜもっとも不寛容な歴史をもったのかと。『哲学辞典』(高橋安光訳)から。(鷲田清一)

折々のことば 9月16日 朝日新聞より