細胞の時間 「人の輝き」

女の人も、男の人も、大体40歳〜50歳を境にして、輝いて生きている人と、輝きを忘却して生きている人が歴然としてくるように思います。いや、この輝きの分水嶺はもっと早くからあるかもしれません。

確かなことは一つです。エネルギー視座からみえるペントハウスの風景です。

それはこうです。

悩みとか闇を、逃げないで、戦わないで、出戻りしないで、真正面から対峙したことの経験と体験が、そこから立ち顕れる微弱な光の存在をキャッチするのです。それはカオスとなり、時間の経過と共にある時、突然、見たこともないような姿・形となって顕現します。

そうです。闇に降りて光を生きるとはこのことです。闇と光のバランスを自分で調整・選択して生きるのです。闇のブラックホールのど真ん中から立ちあがる光のジェットを感じ取るのです。

今日は陽の極みと太陽と、陰の極みの月とが織りなす磁場ができる日です。

生命、いのち、たましい、エネルギーを微積分Calculusできる、そんな時空が今日です。

今朝は朝から何か新鮮で、パワフルなエネルギーを全身に感じます。皆さんはいかがでしょうか。

今日の折々のことばは、ちっと久しぶりの快挙です。

        岩田静治

悩まない人に本当の明るさというのはつかめないと思いますね。
三波春夫

鷲田さんのことば
 対談「芸・芸能・芸術そして芸人」(「海燕(かいえん)」1994年1月号)から。失意、挫折、転落。人は極限状況にある時こそ微弱な光にも敏感になるのだと、生粋のネアカと思われてきた浪曲師・演歌歌手その人が言う。これを承(う)けて作家・荻野アンナは、その明るさは「真っ暗なのを磨いていると出てくる光みたいなもの」ですね、と応じる。人の輝きは失ったものの大きさに比例する?(鷲田清一)

折々のことば 朝日新聞 9月14日 より