細胞の時間 「ラマンチャの男」

自分のために一生懸命になってくれるひとがいることは確かにしあわせでしょうが、自分が誰かひとのために一生懸命になれたら、それは「本当にしあわせ」なのではないでしょうか。

「ひとは自分に仕えるために、自分のために一生懸命になってくるために生まれてくるのではない」、という前提に立てば、そして「自分はだれかひとのためになり、ひとに仕えるために生まれてきた」との前提に立てば、新しい人生の認知風景が立ち上がるのを覚えます!

昨日観た久しぶりの「ラマンチャの男」はこんな認知風景が細胞レベルで思い起こされた時間と空間でした。娘マリ夫妻の招待で大阪のフェスティバルホールでの「細胞の時間」でした。