細胞の時間 「残虐と従順のシーソーゲーム」

第1フェーズでは、個人の意志や生き方や好みは虚勢されます。全体主義の強制的に画一化されたエネルギー場で、人は息をこらえ、自分の思考と感情を殺し、自己保存のシナリオに従順に従います。

第2フェーズに入りますと、人は今までこらえ、殺してきた「自分」を噴出させ、生きられなかった怒りや恨みの「復讐」に転じます。そして、自分も周りも焼き尽くす勢いで、これを自立と思いこみ、自制や自己規律などどこ吹く風で、「僕チンおどり」に興じます。

これは、私達日本人だけの特質?とんでもない!人が存在する限り、脈々と続いてきた闇と光の力学です。今までお手本の先進国と仰いできた欧米を見ただけで、この「残虐と従順」のシーソーゲームは、人間に普遍的に、そして時空を越えて目撃できる意識力学であることは明々白々です。

話は変わりますが、妻の順子がアフリカで日本料理店を営む山口さん(知り合いの方です)のことを朝日新聞で読み、それをブログに投稿した後ほぼ瞬間に、そのブログを読んだアフリカ・ウガンダの山口さんから、「おひさしぶりです!」とのお便りが届く。今はそんな時代です。

このような「同時性」と「瞬時性」がここまでつながっている中で、人間の闇と光の特質は、特別の文化や歴史や宗教でもはや定義できません。

私達は、誰であれ、どこにいても、「あなたは自分の闇と光の構造をどう生きるのですか?」との問いかけに「見ない。聞かない。言わない。」に徹するのか、それともこの際、勇気を出して新しい第3のフェーズに踏み込むのか。これは国籍や歴史や文化を越えて、人が問いかけられている根源的な意識の、エネルギー案件なのです。人類が長きにわたって夢想し、仮説を立ててきた第3フェーズへの移行が、可能になっている前代未聞の時代が今、ここにあります❗️

岩田静治
令和元年8月31日 お昼

今日の折々のことばです。今日はこの内容にもの言いありです。
      ↓
「なんて意気地のない奴(やつ)だ。怒るべき時に怒らない」「なんて意気地のない奴だ。怒る時にすぐ怒ってしまう」
高見順
鷲田さんのことば
 『敗戦日記』は、作家が昭和20年元日から年末まで書き継いだ日記。6月3日の記述にはこんな言葉が挟まる。戦時の厳しい監視下、言論は「去勢」され、多くの国民も感情を煽(あお)られ自制不能になったという。そして戦後の10月5日改めて記す。「権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、小羊の如(ごと)く従順、卑屈」と。(鷲田清一)